2021年 引退する日本人プロロードレーサー


2020年引退する日本人プロロードレーサーについてはこちらの記事を参考に
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目次
【別府史之選手】ヨーロッパでプロになること、プロを続けること
ヨーロッパへの道を作ったレジェンド
ヨーロッパに挑戦する日本人のパイオニアであり、最も偉大な日本人選手の一人です。
別府史之選手の引退は大きなニュースになりました。
日本だけでなく、別府史之選手の活動するフランスでも大きく報じられました。
それほど17年間プロロードレーサーとして活躍し続けた選手の引退は衝撃的でした。
別府史之選手は1983年に神奈川県で生まれました。
2005年、22歳でワールドツアーチームであるチームディスカバリーチャンネルと契約します。
その後は17年間という長期間に渡り世界の第一線で活躍し続けます。
3大グランツール制覇、5大モニュメント完走など数々の成績を残します。
プロ選手になるのは天文学的確率
現在でも日本人がワールドツアーチームの契約を勝ち取ることは困難ですが、別府史之選手がプロデビューした2005年は更に狭き門でした。
経歴では「2005年にディスカバリーチャンネルと契約しプロデビュー」と1行で書かれますが、その道は困難を極めます。
高校在学時の2000年に日本選手権ジュニアを制するなど国内最強の選手でした。
高校2年時の夏にカナダへ初の海外遠征をします。
この遠征をきっかけに海外活動が具体化します。
4歳年上の兄である別府匠さんが先に渡欧しており、日本人選手がプロになる難しさは直接聞いていました。
それでも高校を卒業した別府史之選手はチームブリジストン・アンカーに所属しながら渡欧します。
高校卒業後イタリアに渡るはずが・・・
当初はイタリアに行く予定でしたが最終的にはフランスで活動を開始します。
ヨーロッパと日本のレースの違いだけでなく、生活習慣や言葉の壁など様々な困難がありました。
その様な状況の中、アマチュア自転車クラブであるラ・ポム・マルセイユに所属しリザルトを積み上げます。
ラ・ポム・マルセイユは1974年に創立された伝統あるチームです。
ラ・ポム・マルセイユは選手育成のためのチームであり、別府史之選手が所属した2003年から2004年はフレデリック・ロスタン氏が監督を務めていました。
フレデリック・ロスタン氏はNIPPOのチーム責任者である大門宏氏と旧知の仲です。
ニコラ・ロッシュ選手、ダン・マーティン選手、ダリル・インピー選手といった大スターがこのチームから生まれています。
アマチュアで十分な成績を残しプロ契約を目指すが・・・
別府史之選手はフレデリック・ロスタン監督の元で充分な実績を積み上げてプロチームに契約をアプローチしますが全滅。
別府史之選手は失意の中、帰国します。
2000年代初めは日本人選手がプロ契約をしてヨーロッパで活動した実績がなく、大きな個人スポンサーを持たないアマチュア選手が契約に辿り着くのは困難でした。
運命を変える1本の電話
日本に帰国した別府史之選手の元に1本の電話がかかってきました。
チームディスカバリーチャンネルの監督からでした。
1992年からプロチームとして活動するUSポスタル・サービス プロ・サイクリングチームが2005年に冠スポンサーとしてディスカバリーチャンネルを迎え発足したのがチームディスカバリーチャンネルです。
別府史之選手が契約した2005年はディスカバリー・ジャパン株式会社がJCOMなどのケーブルテレビでディスカバリーHDとして放送を開始するタイミングでした。
日本市場を重視したいチームディスカバリーチャンネルの思惑と上手く一致したのかも知れません。
チームディスカバリーチャンネルで活躍する別府史之選手はTBS系列のドキュメンタリー番組「情熱大陸」で放送されます。
2006年に放送された情熱大陸により別府史之選手は広く一般層にも知られるようになります。
ワールドツアーチームは契約するのも難しいですが、契約更新は更に困難です。
厳しいプロロードレースの世界を17年間も生き抜いた別府史之選手は今後も永く語り継がれるレジェンドです。
今後の別府史之選手
引退後はロードレースと関係のある仕事もするが、全く無関係のプロジェクトも進行中とのことです。
サイクリングの普及やプロモーション、選手育成を行うサイクリングプロモーターとしての活動も予定しています。
ファンからするとワールドツアーチームに「いて当たり前」の感覚だった偉大な選手の引退は寂しいですが、今後の別府史之氏にも注目です。
【鈴木龍選手】2021年引退表明からの現役復帰
大学で自転車を始める
鈴木龍選手は1992年生まれの29歳。
宮城県仙台市出身です。
高校まではサッカーをしていて、明治大学入学後に自転車競技を始めました。
大学卒業後の2015年に那須ブラーゼンに所属し全日本選手権5位という成績を残しています。
2018年宇都宮ブリッツェンへ移籍
2016年にブリジストンアンカーに移籍し、2018年から宇都宮ブリッツェンに所属します。
脚質はパンチャーで、2020年7月のJプロツアー第2戦で優勝しています。
しかし、このレース前の2020年6月に運営会社から来期の契約更新はないと言われていました。
鈴木選手自身は納得できず、交渉を続けていたのですが、その時に芽生えた運営会社に対する不信感から宇都宮ブリッツェンからの退団を決意します。
引退表明⇒現役続行
コロナの影響からロードレース界が不透明なこともあり、ロードレースからは引退し競輪選手を目指すことにします。
しかし、10月下中に行われた競輪選手候補生入所試験に落選します。
自転車からの引退を決意しますがレバンテフジ静岡の佐野淳哉選手から誘いを受け現役続行を表明します。
レバンテフジ静岡で活動を開始した2021年はJCL開幕戦で4位に入る好走を見せます。
このレースでは終盤にできた6名の逃げに乗ることに成功します。
6名の中でスプリント力で勝る鈴木龍選手は元所属チームの宇都宮ブリッツェンから警戒されます。
鈴木龍選手の先頭交代のタイミングで宇都宮ブリッツェンの増田選手がアタックをかけ、逃げ切りに成功しました。
JCL開幕戦でレバンテフジ静岡は鈴木龍選手が4位に入る好スタートを切ります。
エースである佐野淳也選手の鎖骨骨折による欠場も影響し、9チーム中6位でシーズンを終えました。
【中村妃智選手】 東京オリンピックの先へ
自転車を始めたのは偶然
中村妃智選手は1993年生まれの28歳です。
千葉県出身です。
小さい頃から競泳を始め色々なスポーツをしていました。
自転車を始めたのは高校生からです。
きっかけは偶然でした。
部活動紹介で陸上部を探すために校内で道を聞いた人が偶然にも自転車部の顧問でした。
「自転車やるしかないよ」と勧誘され、全く興味のなかった自転車部に入部します。
初めて乗った競技用自転車がピストでした。
短距離種目である500mでも良いタイムを出しましたが専門にしている先輩に勝てず、中距離に専念します。
日本体育大学で日本一を目指す
高校卒業後は日本体育大学へ進学します。
中村妃智選手が大学生の時は鹿屋体育大学が黄金期を迎えていました。
インカレ総合優勝を目指し競技生活を送りますがなかなか手が届きませんでした。
2013年8月からエリート強化指定選手となります。
その約一か月後の2013年9月に東京オリンピック開催が決定します。
中村妃智選手にとって大きな目標が決まりました。
4年生で初めてインカレ総合優勝を手にします。
東京オリンピックへの道
大学卒業後の2016年株式会社JPF(日本写真判定)に入社します。
株式会社JPFは競輪の実況放送、ライブ配信、ゴール着順判定、運営など自転車に関わることを幅広く手掛ける企業です。
「自転車競技選手枠」での採用でした。
入社後は千葉競輪場に配属されます。
午前中は競輪場で接客をして午後からトレーニングする日々を過ごします。
HPCJC(High Performance Center of Japan Cycling)が本格始動した2018年に伊豆に住んで練習を始めます。
HPCJCはオリンピックでメダル獲得が期待できる強化指定選手のトレーニングセンターとして発足しました。
世界選手権やオリンピックでメダルを獲得を目指してアスリートを強化育成する組織です。
以前は漠然と練習するだけでしたが海外コーチにより内容が変化しました。
中距離のコーチにはイアン・メルビン氏が就任しました。
イアン・メルビン氏はカナダの男子中距離のヘッドコーチを歴任し、チームパーシュートのタイムを15秒縮めるなど、数々の実績があります。
専門コーチ陣によるトレーニングに加えて栄養面や血液検査などのケアも受けれるようになりました。
指示通りにトレーニングすれば結果が得られる環境になりました。
東京オリンピック マディソン最後の1名を争う
2019年にクレイグ・グリフィン中長距離ヘッドコーチが就任し東京オリンピックへ向けた動きが加速していきます。
前任者のイアン・メルビン氏体制の時はチームパーシュートで東京オリンピックを戦う予定でした。
しかしチームパーシュートのタイムが伸び悩みます。
クレイグ・グリフィン氏就任後はチームとして実力不足を受け入れて、マディソンでの東京五輪出場に切り替えることになりました。
マディソンは東京オリンピックで初めて正式種目になりました。
マディソンはペアで戦う競技です。
初レースがニューヨークの「マディソン スクエア ガーデン」だったことが名前の由来です。
ポイントレースと同じように周回毎のポイントやラップを狙います。
マディソンのペアはタイプの違うもの同士で組みます。
持久力とスプリント力のある者がペアになります。
ペアのうち1名は絶対女王の梶原悠未選手に決定しました。
中村妃智選手は最後の1名を古山稀絵選手と争います。
中村妃智選手は選手交代時の投げが上手く、交代選手を大きく加速させることができます。
梶原悠未選手はスプリント力があるので、中村妃智選手は持久力が求められました。
集団内で良い位置取りをして交代時に梶原悠未選手を加速させることでポイント獲得を狙う作戦です。
東京オリンピックへ
中村妃智選手は2020年に東京オリンピック自転車トラック競技の日本代表6人にうちの1人に選出されます。
梶原悠未選手とペアを組み挑んだ東京オリンピックマディソンに挑みました。
レースは落車が頻発する激しい展開となりました。
イギリスチームが全てののスプリント周回でポイントに絡む圧倒的な強さを見せます。
日本チームはハイペースな展開に対応することができません。
残り50周回以上を残すことろでレースを下ろされ、DNFとなりました。
日本チームは最下位という残念な結果となりました。
今後の中村妃智選手
東京オリンピック後の2021年12月に開催された「全日本選手権トラック2021」で中村妃智選手の引退セレモニーが執り行われました。
高校生の頃の私は、今では考えられないほどタイムも遅かったですし、表彰台に上れるかどうかを争っていたような選手でした。『オリンピックの舞台に立った』という事実は、当時の私から見たら本当に考えられない姿だったと思います。
私はただひたすらに、ずっと目標を持ち続けて『常に何かを更新し続けよう』と長く細くトラック競技をやって来ました。この想いが最終的に実を結んで良かったなと思っています。8年間の間、応援頂いた皆さま。本当に本当に、ありがとうございました。
引退コメントより抜粋
まだレースは残っていますが、スクラッチの後に #HPCJC の中村妃智選手のナショナルチームからの引退セレモニーが行われました。お客さま、選手、スタッフから愛されている選手である事を象徴する時間でした💐✨ pic.twitter.com/sA0QLga8cH
— HPCJC (@japanhpc) December 12, 2021