2021年 引退する日本人プロロードレーサー

2020年引退する日本人プロロードレーサーについてはこちらの記事を参考に

2020年引退する国内プロ選手ー2021年1月6日現在ー

Contents

【別府史之選手】ヨーロッパでプロになること、プロを続けること

ヨーロッパへの道を作ったレジェンド

ヨーロッパに挑戦する日本人のパイオニアであり、最も偉大な日本人選手の一人です。

別府史之選手の引退は大きなニュースになりました。

日本だけでなく、別府史之選手の活動するフランスでも大きく報じられました。

それほど17年間プロロードレーサーとして活躍し続けた選手の引退は衝撃的でした。

別府史之選手は1983年に神奈川県で生まれました。

2005年、22歳でワールドツアーチームであるチームディスカバリーチャンネルと契約します。

その後は17年間という長期間に渡り世界の第一線で活躍し続けます。

3大グランツール制覇、5大モニュメント完走など数々の成績を残します。

プロ選手になるのは天文学的確率

現在でも日本人がワールドツアーチームの契約を勝ち取ることは困難ですが、別府史之選手がプロデビューした2005年は更に狭き門でした。

経歴では「2005年にディスカバリーチャンネルと契約しプロデビュー」と1行で書かれますが、その道は困難を極めます。

高校在学時の2000年に日本選手権ジュニアを制するなど国内最強の選手でした。

高校2年時の夏にカナダへ初の海外遠征をします。

この遠征をきっかけに海外活動が具体化します。

4歳年上の兄である別府匠さんが先に渡欧しており、日本人選手がプロになる難しさは直接聞いていました。

それでも高校を卒業した別府史之選手はチームブリジストン・アンカーに所属しながら渡欧します。

高校卒業後イタリアに渡るはずが・・・

当初はイタリアに行く予定でしたが最終的にはフランスで活動を開始します。

ヨーロッパと日本のレースの違いだけでなく、生活習慣や言葉の壁など様々な困難がありました。

その様な状況の中、アマチュア自転車クラブであるラ・ポム・マルセイユに所属しリザルトを積み上げます。

ラ・ポム・マルセイユは1974年に創立された伝統あるチームです。

ラ・ポム・マルセイユは選手育成のためのチームであり、別府史之選手が所属した2003年から2004年はフレデリック・ロスタン氏が監督を務めていました。

フレデリック・ロスタン氏はNIPPOのチーム責任者である大門宏氏と旧知の仲です。

ニコラ・ロッシュ選手、ダン・マーティン選手、ダリル・インピー選手といった大スターがこのチームから生まれています。

アマチュアで十分な成績を残しプロ契約を目指すが・・・

別府史之選手はフレデリック・ロスタン監督の元で充分な実績を積み上げてプロチームに契約をアプローチしますが全滅。

別府史之選手は失意の中、帰国します。

2000年代初めは日本人選手がプロ契約をしてヨーロッパで活動した実績がなく、大きな個人スポンサーを持たないアマチュア選手が契約に辿り着くのは困難でした。

運命を変える1本の電話

日本に帰国した別府史之選手の元に1本の電話がかかってきました。

チームディスカバリーチャンネルの監督からでした。

1992年からプロチームとして活動するUSポスタル・サービス プロ・サイクリングチームが2005年に冠スポンサーとしてディスカバリーチャンネルを迎え発足したのがチームディスカバリーチャンネルです。

別府史之選手が契約した2005年はディスカバリー・ジャパン株式会社がJCOMなどのケーブルテレビでディスカバリーHDとして放送を開始するタイミングでした。

日本市場を重視したいチームディスカバリーチャンネルの思惑と上手く一致したのかも知れません。

チームディスカバリーチャンネルで活躍する別府史之選手はTBS系列のドキュメンタリー番組「情熱大陸」で放送されます。

2006年に放送された情熱大陸により別府史之選手は広く一般層にも知られるようになります。

ワールドツアーチームは契約するのも難しいですが、契約更新は更に困難です。

厳しいプロロードレースの世界を17年間も生き抜いた別府史之選手は今後も永く語り継がれるレジェンドです。

今後の別府史之選手

引退後はロードレースと関係のある仕事もするが、全く無関係のプロジェクトも進行中とのことです。

サイクリングの普及やプロモーション、選手育成を行うサイクリングプロモーターとしての活動も予定しています。

ファンからするとワールドツアーチームに「いて当たり前」の感覚だった偉大な選手の引退は寂しいですが、今後の別府史之氏にも注目です。

【鈴木龍選手】2021年引退表明からの現役復帰

大学で自転車を始める

鈴木龍選手は1992年生まれの29歳。

宮城県仙台市出身です。

高校まではサッカーをしていて、明治大学入学後に自転車競技を始めました。

大学卒業後の2015年に那須ブラーゼンに所属し全日本選手権5位という成績を残しています。

2018年宇都宮ブリッツェンへ移籍

2016年にブリジストンアンカーに移籍し、2018年から宇都宮ブリッツェンに所属します。

脚質はパンチャーで、2020年7月のJプロツアー第2戦で優勝しています。

しかし、このレース前の2020年6月に運営会社から来期の契約更新はないと言われていました。

鈴木選手自身は納得できず、交渉を続けていたのですが、その時に芽生えた運営会社に対する不信感から宇都宮ブリッツェンからの退団を決意します。

引退表明⇒現役続行

コロナの影響からロードレース界が不透明なこともあり、ロードレースからは引退し競輪選手を目指すことにします。

しかし、10月下中に行われた競輪選手候補生入所試験に落選します。

自転車からの引退を決意しますがレバンテフジ静岡の佐野淳哉選手から誘いを受け現役続行を表明します。

レバンテフジ静岡で活動を開始した2021年はJCL開幕戦で4位に入る好走を見せます。

このレースでは終盤にできた6名の逃げに乗ることに成功します。

6名の中でスプリント力で勝る鈴木龍選手は元所属チームの宇都宮ブリッツェンから警戒されます。

鈴木龍選手の先頭交代のタイミングで宇都宮ブリッツェンの増田選手がアタックをかけ、逃げ切りに成功しました。

JCL開幕戦でレバンテフジ静岡は鈴木龍選手が4位に入る好スタートを切ります。

エースである佐野淳也選手の鎖骨骨折による欠場も影響し、9チーム中6位でシーズンを終えました。

【中村妃智選手】 東京オリンピックの先へ

自転車を始めたのは偶然

中村妃智選手は1993年生まれの28歳です。

千葉県出身です。

小さい頃から競泳を始め色々なスポーツをしていました。

自転車を始めたのは高校生からです。

きっかけは偶然でした。

部活動紹介で陸上部を探すために校内で道を聞いた人が偶然にも自転車部の顧問でした。

「自転車やるしかないよ」と勧誘され、全く興味のなかった自転車部に入部します。

初めて乗った競技用自転車がピストでした。

短距離種目である500mでも良いタイムを出しましたが専門にしている先輩に勝てず、中距離に専念します。

日本体育大学で日本一を目指す

高校卒業後は日本体育大学へ進学します。

中村妃智選手が大学生の時は鹿屋体育大学が黄金期を迎えていました。

インカレ総合優勝を目指し競技生活を送りますがなかなか手が届きませんでした。

2013年8月からエリート強化指定選手となります。

その約一か月後の2013年9月に東京オリンピック開催が決定します。

中村妃智選手にとって大きな目標が決まりました。

4年生で初めてインカレ総合優勝を手にします。

東京オリンピックへの道

大学卒業後の2016年株式会社JPF(日本写真判定)に入社します。

株式会社JPFは競輪の実況放送、ライブ配信、ゴール着順判定、運営など自転車に関わることを幅広く手掛ける企業です。

「自転車競技選手枠」での採用でした。

入社後は千葉競輪場に配属されます。

午前中は競輪場で接客をして午後からトレーニングする日々を過ごします。

HPCJC(High Performance Center of Japan Cycling)が本格始動した2018年に伊豆に住んで練習を始めます。

HPCJCはオリンピックでメダル獲得が期待できる強化指定選手のトレーニングセンターとして発足しました。

世界選手権やオリンピックでメダルを獲得を目指してアスリートを強化育成する組織です。

以前は漠然と練習するだけでしたが海外コーチにより内容が変化しました。

中距離のコーチにはイアン・メルビン氏が就任しました。

イアン・メルビン氏はカナダの男子中距離のヘッドコーチを歴任し、チームパーシュートのタイムを15秒縮めるなど、数々の実績があります。

専門コーチ陣によるトレーニングに加えて栄養面や血液検査などのケアも受けれるようになりました。

指示通りにトレーニングすれば結果が得られる環境になりました。

東京オリンピック マディソン最後の1名を争う

2019年にクレイグ・グリフィン中長距離ヘッドコーチが就任し東京オリンピックへ向けた動きが加速していきます。

前任者のイアン・メルビン氏体制の時はチームパーシュートで東京オリンピックを戦う予定でした。

しかしチームパーシュートのタイムが伸び悩みます。

クレイグ・グリフィン氏就任後はチームとして実力不足を受け入れて、マディソンでの東京五輪出場に切り替えることになりました。

マディソンは東京オリンピックで初めて正式種目になりました。

マディソンはペアで戦う競技です。

初レースがニューヨークの「マディソン スクエア ガーデン」だったことが名前の由来です。

ポイントレースと同じように周回毎のポイントやラップを狙います。

マディソンのペアはタイプの違うもの同士で組みます。

持久力とスプリント力のある者がペアになります。

ペアのうち1名は絶対女王の梶原悠未選手に決定しました。

中村妃智選手は最後の1名を古山稀絵選手と争います。

中村妃智選手は選手交代時の投げが上手く、交代選手を大きく加速させることができます。

梶原悠未選手はスプリント力があるので、中村妃智選手は持久力が求められました。

集団内で良い位置取りをして交代時に梶原悠未選手を加速させることでポイント獲得を狙う作戦です。

東京オリンピックへ

中村妃智選手は2020年に東京オリンピック自転車トラック競技の日本代表6人にうちの1人に選出されます。

梶原悠未選手とペアを組み挑んだ東京オリンピックマディソンに挑みました。

レースは落車が頻発する激しい展開となりました。

イギリスチームが全てののスプリント周回でポイントに絡む圧倒的な強さを見せます。

日本チームはハイペースな展開に対応することができません。

残り50周回以上を残すことろでレースを下ろされ、DNFとなりました。

日本チームは最下位という残念な結果となりました。

今後の中村妃智選手

東京オリンピック後の2021年12月に開催された「全日本選手権トラック2021」で中村妃智選手の引退セレモニーが執り行われました。

高校生の頃の私は、今では考えられないほどタイムも遅かったですし、表彰台に上れるかどうかを争っていたような選手でした。『オリンピックの舞台に立った』という事実は、当時の私から見たら本当に考えられない姿だったと思います。

私はただひたすらに、ずっと目標を持ち続けて『常に何かを更新し続けよう』と長く細くトラック競技をやって来ました。この想いが最終的に実を結んで良かったなと思っています。8年間の間、応援頂いた皆さま。本当に本当に、ありがとうございました。

引退コメントより抜粋

引退後の中村妃智氏は株式会社JPFの社員として引き続き自転車と関わる仕事を続けます。

会社のスローガンである「自転車競技をメジャースポーツにする」を念頭に活動を続けます。

2021年10月からスタートしたPIST6の解説も務めています。

PIST6とはPIST6は競輪と大きく違う競技です。

競輪特有のラインという概念がありません。

競技のケイリンに近い競技です。

「競輪」と「ケイリン」の違いについてはこちらの記事を参考に

競輪は「勝負」・ケイリンは「レース」!!競輪とケイリンどう違うの!?

中村妃智氏は指導者として日本の女子中長距離界と関わりたいという思いを強く持っています。

2022年からは大学院へ進学しトレーニング科学を専攻する予定もあります。

近い将来にオリンピック選手を育成する中村妃智コーチの姿が見れるかも知れません!

【木村圭佑選手】 プロ生活8年間をシマノレーシングに捧げる

高校から自転車競技の魅力に取りつかれる

木村圭佑選手は1991年生まれの30歳です。

滋賀県出身で小学校と中学校では水泳や野球をしていました。

高校でも野球を続ける予定でしたが入学した学校に自転車競技部があり魅力を感じて入部します。

高校卒業後は京都産業大学に進学します。

3年生の2011年にインカレ個人ロード2位。

最終学年の2012年に念願のインカレ個人ロード優勝を果たします。

シマノレーシング加入

2014年畑中勇介選手がキャプテンを務めるシマノレーシングに加入します。

その後、木村圭佑選手は現役引退までシマノレーシングに所属します。

2016年、2017年に全日本自転車競技選手権大会ロードレース連続3位表彰台を獲得します。

上位表彰台を獲得しトップ選手としての実力を証明するものの、あと一歩の場面で勝利を逃す場面が続きます。

2015年からキャプテンを努めていた入部正太朗選手の後を引き継ぎ2018年にシマノレーシングキャプテンに就任します。

選手をまとめ、引っ張る能力を高く評価されてのキャプテン就任でした。

キャプテンに就任した2018年に西日本チャレンジロードレース優勝を果たします。

チーム一丸となり勝ち取る2019年全日本選手権優勝

2019年は1973年に発足し日本の自転車競技をリードしてきたシマノレーシングにとって歴史的な年となりました。

エースである入部正太朗選手の全日本自転車競技選手権大会ロードレース優勝です。

2019年全日本自転車競技選手権大会ロードレースは6月30日に富士スピードウェイで開催されました。

強い雨風と濃い霧の中227kmのレースが開催されました。 

ワールドツアーチームに所属する別府史之選手と新城幸也選手が揃って出場することもあり、注目度の高いレースとなりました。

雨のスピードウェイは非常に滑りやすく、コース外も走るため細かいコーナーの連続するテクニカルなコースとなりました。

シマノレーシングは8人でスタートしましたが横山航太選手、小山貴大選手、一丸尚伍選手の3人が早い段階で集団から脱落しました。

レースはサバイバルな展開となり、12周目に入る頃には152人いた集団は57人まで縮小します。

残り7周でシマノレーシングは木村圭佑選手と湊諒選手だけでエース入部正太朗選手を守る状況に追い込まれます。

しかし木村圭佑選手の完璧なサポートにより入部正太朗選手は体力を冷静に温存できました。

残り3周で入部正太朗選手がアタックします。

先頭は新城選手、入部選手、横塚選手の3人に絞られます。

ラスト150mで入部選手が飛び出したタイミングで新城選手もスプリントを開始します。

入部選手はスプリントを制し、2019年全日本自転車競技選手権大会ロードレース優勝を手にしました。

シマノレーシングのチームプレイで手に入れた悲願の優勝でした。

あれだけチームまとめられるって、僕もキャプテンしてたことありますけど、

やっぱり自分に不甲斐ない部分もあったりとかして、

その面で木村は本当にすごいなって。これだけチームメイトまとめられる能力とか、

自分には本当にないものを持っているという部分で尊敬しています。

レース後の野寺監督インタビューより

引退レース 2021年全日本自転車競技選手権大会ロードレース

木村圭佑選手は2021年全日本自転車競技選手権大会ロードレースでの引退を表明します。

2016年、2017年と2年連続で表彰台を獲得し、2019年にキャプテンとして挑んだ思い入れの強いレースです。

木村圭佑選手は13周でできた15名ほどの逃げ集団に入ることに成功します。

途中で何度も遅れそうになりながらも集団に食らいつき、粘りの走りを見せます。

最終的には第2集団の16位でフィニッシュします。

「この8年間の思いを乗せて、今日は走りました。

チーム、スタッフの方々に支えられてスタートラインに立てたので、そこから最後まであきらめずに、

今まで応援してくださったファンと支えてくれた家族に感謝の気持ちで最後まで戦いました。

悔いもなく終われたし、このチームで8年間通して走れたことが幸せでした」

レース後のインタビューより

【小野康太郎選手】 高校1年でJプロデビューしヨーロッパでプロを目指す

中学1年で実業団レースデビュー

小野康太郎選手は1997年生まれの24歳です。

東京都出身で実家は自転車店を経営しています。

小さい頃はサッカーをしていました。

中学入学と同時に多くの選手を育てた名門チーム「スミタ エイダイパールイズミラバネロ」に所属しレース活動します。

スミタ エイダイパールイズミラバネロには高校卒業まで所属します。

中学2年で早くも実業団レースに初参戦します。

映像はジュニアオリンピックU17ポイントレースの模様です。

ゼッケンNo204が小野康太郎選手です。

高校1年でJプロデビューし、夏休みにイタリア遠征も経験します。

高校2年で世界選手権ロードに選出されます。

世界選手権ロードはスタート300mで落車し苦戦します。

大会期間中に内進試験を受けなかったので大学進学のチャンスも失います。

プロを目指しイタリアへ

イタリアで再び走りたい思いを強く持ち、チームニッポ大門宏監督のアプローチするもタイミングが合わずに断念します。

何も決まらない状態でU23の1年目を迎えることになってしまいます。

そんな時に運命を変える1通のメールが届きます。

スイスのチームであるチームスピーダーからの誘いでした。

裏ではチームニッポ大門宏監督の動きがありました。

19歳の2016年からチームスピーダーに所属しイタリアでレース活動します。

2戦目のレースでスプリントを目前に落車し鎖骨を骨折します。

イタリアで手術をして再びレースに復帰しますが厳しい結果が続きます。

苦難のヨーロッパ生活

2017年はスイスのメンドリッシオと契約します。

強い選手が多く所属しレースもハイレベルでした。

とてつもないスピードに苦しみます。

苦労を間近で見ていたスタッフの勧めでイタリアのチーム ザッピへ2018年に移籍します。

チーム ザッピは生活の全てをコントロール下に置き、体重管理もされる厳しいチームでした。

合わない環境の下で次第に走れなくなっていきます。

全日本選手権に出場しますが落車によりリタイアします。

心が折れそうになりますが『U 23はイタリアでやり切る』という思いでかつて所属したヴェロ クラブ メンドリッシオに2019年に復帰します。

ヨーロッパでのプロを断念し帰国

2020年、23歳で帰国し、さいたまディレーブに加入します。

2021年8月のシーズン半ばに引退を表明しました。

2年前、ヨーロッパで競技活動中、一度競技に対する火が完全に消えてしまいました。そんなところ声を掛けていただき、さいたまディレーブで競技活動を続けました。しかし思いは大きくならず、色々試行錯誤をしてみましたが、この状態で競技を続けるのはどうなのかと、この決断を致しました。

【岸崇仁選手】 さいたまディレーブ 

岸崇仁選手は1994年生まれの27歳です。

東京都出身です。

2020年から2年間さいたまディレーブに所属しました。

チームのまとめ役、チームの顔として活躍しました。

小さい頃はサッカーに打ち込んでいました。

MTBに乗ったことをきっかけに自転車を始めます。

その後地元のサイクルショップが運営するクラブチームに所属しロードレースに出場します。

ベルギーでレースを走るなど活動します。

さいたまディレーブへはチーム立ち上げと同時に加入します。

コロナ禍の中、チームが発足し2年間思うように活動出来なかったですが、自分達が思いっきりレースを走れたのはスポンサー、サプライヤー様そして日頃から応援してくださってるファンの皆さんのお陰です。 ありがとうございました。 また、2年間思うような結果が残せず悔しいですが、ある意味自分と向き合えたいい時間だったと思います。 国内トップカテゴリーの選手としては退きますが、今後もロードレースや自転車競技には関わって行こう考えています。 なので今後とも岸崇仁をよろしくお願いします

公式ホームページより

【小野寛斗選手】 Sparkle Oita Racing Team 

小野寛斗選手は1998年生まれの23歳です。

神奈川県出身のオールラウンダーです。

横浜高校在学中の2016年にジュニアネイションズカップ スイス大会出場に出場します。

高校卒業後は早稲田大学に進学します。

2019年インカレのオムニアムで優勝します。

2020年にシマノレーシングに加入します。

2021年から新チームであるSparkle Oita Racing Teamに加入し1年間を戦いました。

この度2021年をもってスパークルおおいたレーシングチームを退団、プロ選手を引退することに決めました。

競技生活8年間のうち1年間スパークルおおいたで過ごすことができてとても幸せでした。

自転車競技はアマチュアとして趣味で続けて行くつもりです。

1年間本当にありがとうございました。

公式ホームページより

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