ZWIFTワーカー

2020年引退する国内プロ選手ー2021年1月6日現在ー

今年はコロナの影響で業績悪化した企業が多かったね

東京オリンピックの延期や相次ぐスポーツイベントの中止など、良いニュースはなかったね

国内レースも全日本選手権やJプロツアーが軒並み中止になってファンとしてはとても残念だったよ!

プロスポーツは景気の波をダイレクトに受けるからね
その影響のせいか、今年は引退する選手も多いよ

海外移籍を表明している選手もいるけど、ヨーロッパも状況が厳しいね

コロナが治まって、レースのある日常が早く戻ってきて欲しい!

引退選手

内間康平(Team UKYO)

Team UKYO

内間 康平

内間康平選手は1988年生まれの31歳。

沖縄の自転車名門高校である北中城高校でキャプテンを務め、インターハイロード優勝など好成績を連発。

ジュニア日本代表に選出されています。

高校卒業後は鹿児島県の自転車名門大学である鹿屋体育大学に進学します。

大学在学中にインカレ個人ロード優勝、ツールド北海道U23総合優勝など。

卒業後の2011年にチームNIPPOに加入。

2014年から2016年までブリジストンアンカーに所属します。

2016年のリオ五輪で同じ沖縄出身の新城幸也選手とともに代表に選出されます。

その他、アンカー時代にはアジア選手権3位などの成績を残しています。

2017年にNIPPOヴィーニファンティーニに移籍。

2018年からTeam UKYOに移籍します。

2019年ツールドおきなわ2位。

しかし、今年に入り出場予定だったUCIアジアレースが相次いでキャンセル。

コロナ禍のなかでモチベーションの低下に悩まされます。

このままロード選手を続けるのか困難と判断し、競輪選手への転向を決意します。

北中城高校時代の先輩が競輪選手として活躍しており、このことも後押しとなったようです。

2020年8月にTeam UKYOとの契約を終え、10月下旬の競輪選手候補生入所試験を受けるも落選。

2020年12月をもって自転車選手引退を表明しました。

今後の活動についてはまだ発表されていません。

鈴木龍(宇都宮ブリッツェン)

宇都宮ブリッツェン

鈴木 龍

鈴木龍選手は1992年生まれの28歳。

宮城県仙台市出身。

高校まではサッカーをしていて、明治大学入学後に自転車競技を始めました。

大学卒業後の2015年に那須ブラーゼンに所属し全日本選手権5位という成績を残しています。

2016年にブリジストンアンカーに移籍し、2018年から宇都宮ブリッツェン所属。

脚質はパンチャーで、2020年7月のJプロツアー第2戦で優勝しています。

しかし、このレース前の6月に運営会社から来期の契約更新はないと言われていました。

鈴木選手自身は納得できず、交渉を続けていたのですが、その時に芽生えた運営会社に対する不信感から宇都宮ブリッツェンからの退団を決意します。

コロナの影響からロードレース界が不透明なこともあり、ロードレースからは引退し競輪選手を目指すことにします。

しかし、10月下中に行われた競輪選手候補生入所試験に落選し自転車競技からの引退となりました。

今後についてはまだ発表されていません。

12月24日、レバンテフジ静岡に加入し現役を続行することが発表されました。

大久保陣(宇都宮ブリッツェン)

宇都宮ブリッツェン

大久保陣選手は1988年生まれの31歳。

同じく引退する内間康平選手と同じ歳です。

大阪府出身で父親は元シマノレーシング所属のプロロードレース選手。

父親は今もシマノレーシングでメカニックをしています。

鹿児島実業高校を卒業し、法政大学に進学。

法政大学卒業後の2011年からパールイズミ・スミタ・ラバネロ所属。

2012年国体成年ロード8位入賞。

2013年にTeam UKYO移籍。

そして2014年に宇都宮ブリッツェンに移籍します。

2014年は栗村修監督が退任し、キャプテンに鈴木真理選手が就任。

増田成幸選手、鈴木譲選手、阿部嵩之選手、青柳憲輝選手が新規加入する宇都宮ブリッツェンにとって激動の年でした。

その後2017年ブリジストンアンカー、2019年キナンサイクリングチームを経て2020年から再び宇都宮ブリッツェンに所属します。

しかし、Jプロツアーが相次いで中止になり6月に運営会社から来季の契約更新はないことを告げられ引退を決意します。

引退を決意した後も7月のJプロツアー第2戦で宇都宮ブリッツェンの1位2位3位表彰台独占に尽力するなどの成績を残します。

引退後も引き続き宇都宮に在住することを表明しており、活動内容は不明ですが今後が期待されます。

前田公平(弱虫ペダル)

弱虫ペダル

前田公平選手は1994生まれの26歳。

出身競技はマウンテンバイクです。

東京都出身で小学3年生の時にマウンテンバイクを始めました。

法政大学第二高校から法政大学に進学。

2011年からマウンテンバイクに加えてシクロクロスにも挑戦し、初めてC3カテゴリーに出場。

18歳の時の2012年マウンテンバイクアジア選手権で優勝しています。

法政大学在学中に2015マウンテンバイク世界選手権U23日本代表に選出。

マウンテンバイクと並行してシクロクロスにも参戦しており、2012年全日本シクロクロス選手権ジュニア2位、2014年全日本シクロクロス選手権U23 2位を獲得しています。

2015年シクロクロス世界選手権出場。

2015年、大学卒業後に21歳で前年に発足した「弱虫ペダル シクロクロスチーム」に同じく今年引退表明した中原義貴選手と共に加入。

弱虫ペダル加入後はチームのエースとして重要な役割を果たします。

2016年からはロードレースJエリートツアーに参戦し、ロードレースでも頭角を現します。

2018年にJプロツアー参戦。

同じくエース格の織田聖と共に好成績を収め、初年度からチームランキング9位と好発進します。

そして2018年、2019年に全日本シクロクロス選手権エリート2連覇を果たします。

しかし、2020年に入りコンディション低下に悩まされます。

3連覇を目指した2020全日本シクロクロス選手権は完走者10名というサバイバルレースで8位。

翌日に所属する弱虫ペダルからの脱退と共に引退を表明しました。

今後の活動については今のところ分かっていません。

小野寺慶(那須ブラーゼン)

那須ブラーゼン

小野寺慶選手は2000年生まれの20歳。

栃木県出身で兄は同じくプロロードレーサーで宇都宮ブリッツェン所属の小野寺玲です。

真岡工業高校在学中の2015年に全日本選手権U15+U17個人タイムトライアル優勝。

卒業後の2017年に宇都宮ブリッツェンの下部育成チームであるブラウブリッツェンに所属。

2018年チャレンジロードレースジュニア優勝、JBCF修善寺E1優勝。

2019年から那須ブラーゼンに所属します。

しかし所属1年目から不調に苦しみ、2020年に外腸骨動脈の線維化症で長期離脱。

手術をするも体調が戻らずに引退を決意します。

引退後は宇都宮市内の建設会社に就職する予定とのことです。

中原義貴(WIAWIS RACING TEAM)

中原義貴選手は1993年生まれの27歳。

大阪府出身でマウンテンバイクが主戦場です。

マウンテンバイクを始めたのは小学生の時です。

2012年全日本マウンテンバイク選手権U23優勝。

2014年関西シクロクロス マキノラウンドU23にて前田公平選手、沢田時選手、横山航太選手を抑えて優勝しています。

2015年に22歳で弱虫ペダルサイクリングチームに所属。

その後WIAWIS RACING TEAMに所属し、マウンテンバイク、シクロクロスに参戦していました。

椿大志(キナンサイクリングチーム)

キナンサイクリングチーム

椿大志選手は1991年生まれの29歳。

東京都出身でロードバイクを始めたのは高校から。

高校時代は自転車部に属さず、地元ショップのホビーレーサーと一緒に練習し、実業団レースに出場していた異色の経歴の持ち主です。

高校卒業と同時にフランスに渡り、ブリジストンアンカーの下部チームであるエスポワールブリジストンに所属します。

その後7年間フランスをベースに活動します。

2012年全日本選手権U23タイムトライアル優勝。

2014年からチームブリジストンアンカーに所属。

2017年にキナンサイクリングチームに移籍します。

キナンサイクリングチームでは2017年にツール・ド・モルッカ(UCI2.2)第4第5ステージでプロ初優勝するなどの成績を収めます。

一方で怪我によりレース離脱が増えたため、2020年に成績が残せなければ引退することをチームに伝え、今シーズンに挑みました。

しかし、コロナの影響でレースの中止が相次いだためJプロツアー群馬3連戦で引退を決意します。

今後の活動については未定とのことです。

下島将輝(那須ブラーゼン)

那須ブラーゼン

下島将輝選手は1993年生まれの27歳。

兵庫県出身で小学生でサッカー、中高生でバスケットボールをしていました。

大阪経済大学に進学後はバスケットサークルに所属しますが、物足りなさを感じていた時にテレビで見たツールドフランでロードレースを始めることを決意。

アルバイトしてロードバイクを購入後、大学の自転車競技部に所属しレース活動を始めます。

3年生の時に大学を休学し大学自転車連盟の欧州遠征に参加します。

帰国後の2015年、地元のチームであるコラッジョ川西サイクリングチームに所属。

コラッジョ川西サイクリングチームに1年所属した後、2016年にチーム創設4年目の那須ブラーゼンに移籍します。

那須ブラーゼンではスプリンターとして活動し、2016年京都美山ロードで初優勝します。

2017年にタイで合宿し、3週間で2700キロを走りこむが、帰国後に膝の故障が判明します。

その後は故障を克服し、那須ブラーゼンのキャプテンを務めながら表彰台に乗るなどの活躍を見せます。

しかし体調は完全に回復せず2020年は進退を賭けたシーズンとして挑むつもりでしたが、相次ぐレースの中止により目標を見失ってしまいます。

2020年開幕以後は原因不明の膝の痛みが現れ、引退を決意します。

今後については未定ですが、前向きに進んでいくとコメントしています。

youtube チャンネルを開設し、シモジマンとして活躍中です!

上野みなみ

上野みなみ選手は1991年生まれの29歳。

青森県出身です。

大学で自転車競技をしていた兄の影響で青森県立八戸工業高校入学後に自転車競技を始めます。

両親も八戸工業高校でスケート競技をしていました。

入学直後はクリートをはめるのにも苦労し、入学1ヶ月後には鎖骨骨折するなど苦労を重ねます。

2008年全国高等学校選抜自転車競技大会個人ロードレース、2kmポイントレース、6kmスクラッチを制します。

2008年ジュニアオリンピック最優秀選手。

2008年全日本自転車競技大会タイムトライアルエリートに高校生ながら出場し3位獲得。

2008年の高校3年時にジュニア世界選手権自転車競技ポイントレースにおいて日本人女子初となる銅メダル獲得。

2010年に鹿児島県の自転車名門校である鹿屋体育大学入学。

同期には山本元喜選手や黒枝士揮選手、そして山本(旧姓塚越)さくら選手がいます。

2011年世界選手権トラックポイントレース4位。

2013年全日本選手権トラックポイントレース優勝。

大学在学中はインカレロード4連覇という偉業を成し遂げます。

大学卒業後は鹿屋体育大学大学院へ進学。

2015年世界選手権トラックポイントレース銀メダル。

2016年鹿屋体育大学大学院を修了しシエルブルー鹿屋へ加入。

2016年UCIワールドカップトラックポイントレース2位、スクラッチ2位。

2019年八戸スポーツ大使就任。

2019年全日本選手権個人タイムトライアルロードレース大会3位。

2021年1月に2021年3月で引退することを表明し、競技生活12年に幕を下ろすことを表明しました。

今後については発表されていませんが、延期された鹿児島国体に山本さくら選手と関わっていくことが期待されます。

山本さくら

シエルブルー鹿屋

山本(旧姓:塚越)さくら選手は1991年生まれの29歳。

埼玉県出身で埼玉県立熊谷高校時代は陸上の7種競技をしていました。

関東インターハイで入賞するレベルであったものの、陸上競技に限界を感じます。

小中学校でトライアスロンをやっていたこともあり、鹿児島県の自転車名門校である鹿屋体育大学に一般入試で進学し自転車競技を始めます。

鹿屋体育大学は同級生として現在もプロで活躍し、後に結婚する山本元喜選手や黒枝士揮選手、上野みなみ選手そして上級生には吉田隼人選手や同じく今年引退する内間康平選手などが在学していました。

在学中は2013年度鹿屋体育大学自転車競技部主将を務めます。

2013年全日本自転車競技選手権トラックレース個人追い抜き優勝、オムニアム優勝。

2014年全日本自転車競技選手権トラックレース個人追い抜き優勝、オムニアム優勝。

大学卒業後は鹿屋市に在住し、2016年からトラック中長距離チームであるシエルブルー鹿屋に所属します。

そして2016年リオデジャネイロオリンピックに出場しオムニアム16位の成績を収めています。

2017年に大学の同級生である山本元喜選手と結婚します。

出産後の2019年にナショナルチームへの復帰を目指すもパラサイクリングのタンデムパイロット(前席)としての活動を表明します。

2019年全日本パラサイクリング選手権タイムトライアル女子タンデム優勝、都道府県チームタイムトライアル優勝。

しかし、コロナの影響で地元鹿児島国体の2023年延期が決定。

モチベーションを保つのが困難になり、2020年11月に行われた全日本自転車競技選手権大会トラックレースの500メートルタイムトライアルで優勝した後に引退を表明します。

引退後の活動については発表されていませんが、今後も自転車に関わっていくとともに、延期となった鹿児島国体の成功に尽力したいと引退セレモニーで語っています。

堀航輝(シエルブルー鹿屋)

シエルブルー鹿屋

堀航輝選手は1995年生まれの25歳。

香川県出身で石田高校卒業後に鹿児島県の鹿屋体育大学に入学します。

在学中は2015年ジャパントラックカップスプリントフライング200mで22年ぶりの学生新記録を出し優勝します。

2016年インカレ1キロタイムトライアル優勝。

卒業後の2018年に鹿屋市に残りシエルブルー鹿屋在籍。

東京五輪出場を目指しプロ活動を開始します。

UCIワールドカップチームスプリントに参戦するなどしますが、2020年に引退を表明。

その後2021年1月14日に競輪学校合格が発表されました。

引退するほぼすべての選手がコロナに影響を受けているね・・・

運営会社の業績悪化はプロ選手の契約にダイレクトに響くからね
そしてほとんどの選手が引退後の進路が決まっていないよ

選手の経歴をよく見ていくと、それぞれが栄光や挫折を味わいながら競技を続けてきたことがよく分かるね。
現役時代からセカンドキャリアを考えるのが大切だけど、コロナ不景気で難しいね

一年前の今頃はまさかこんな世の中になるなんて誰も考えていなかったからね
自転車選手だけでなく、ほぼ全てのプロ選手にとって厳しい時代が来たよ

引退した選手には少しでも良いセカンドキャリアを築いて欲しいね!

今年引退を表明した選手はコロナの中で納得いくレースをできませんでした。

小さいころから競技に打ち込み、夢を追いかけてきただけに納得できない部分もたくさんあることと思います。

今後は自転車から足を洗う選手や自転車業界と関わっていく選手など、様々な人生が待っていると思います。

ロードレースファンは現役時代の活躍を忘れることはありません。

競技を通して培った経験を活かして実りあるセカンドキャリアを願っています。

今までの競技生活本当にお疲れ様でした!

そしてありがとうございました!!

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